どうも、山口祐樹です。
このページでは、
・資産100億円、子供9人(娘7)、5カ国以上のマルチリンガルの化物と出会う。
・20代中盤までにアフィリエイトで累計「3億円」を稼ぐ。
・山口祐樹の教材で0→1達成者は100人以上。
その実績を出せるようになるまでの物語をお話しします。
詳しい実績ページはこちら
→山口祐樹の実績まとめ。コンサル生と合わせて累計10億円。感想2300件越え。
父親はパチンカス、母親は専業主婦です。
1995年生まれの愛知県出身です。愛知というと「名古屋?」と聞かれますが、岡崎という田舎です。
くそ田舎。ザ・畑って感じ。授業参観はトヨタ系の人でいっぱいの街ですね。
車でイオンが30分行かないとなくて、娯楽なんて一切ない場所。
・・・そのなかでも両親は貧乏でした。
覚えているのが僕が小6のころ、
月謝1万円とかです。しかし約3000万円の住宅ローンを抱える両親にとっては辛かったのでしょう。
僕のお金に対する執着はそこから生まれていきました。
友達が「祐樹、飯行こうぜ」と誘ってきたら、その場では「いいよ~」とだらだら返すも、「どうせ金かかるしな…」と思って土壇場キャンセル。
友達が「祐樹、BBQしようぜ」も。
友達が「祐樹、合コンしようぜ」も。
とにかく貧乏だったので全部誘いをキャンセルしてました。
そして僕は勉強ができません。
両親も高卒。田舎ローン借金3000万円とかのところに生まれたわけです。
頭がいいわけがない。
どれだけ勉強しても、当時の記憶では偏差値が40を絶対越えられない。
高校はスポーツ推薦で、地元で一番偏差値が低くて(偏差値37)、一番野球が強いところに入りました。
男子校でした。ガチ動物園です。パワー系のアホがとにかく多い。僕は授業中ずっと寝てるか、モンスターハンターをやっていました。
盗み、支配、暴力。スラム街であることは大体クラス内でも発生します。僕は教科書がライターで焼かれました。どうせ使わないのでまあいいです。
偏差値30代の高校は動物園
とにかく周りが動物園すぎる。
本当の話なのですが、高校3年生の時、また1から大文字のアルファベットから学んでいました。
そして赤点を出すやつもいました。「赤点」とは何か最後までよくわかっていない”本物”もいました。
ソイツもなぜか卒業できてしまうような高校。
完全に脳がバグってます。バグですバグバグ。冗談抜きで知恵遅れです。
だから僕にある選択肢は、
「野球頑張ったんだから、トヨタ系の企業に推薦書書いたる。そこでまた頑張れ」
という担任の先生からの命令のみ。
周りはアホすぎて「押忍、やります」と言ってました。
僕はずーーーっと違和感がありました。
え、この一瞬の出来事で、あと40年の人生決められるの??
この就活っぽい茶番で、あとの人生決まり??
僕にとっては不思議すぎる瞬間でした。
こんな人生の重要な選択を、サクッと終わらせてしまう人間だらけでした。
とにかく田舎なので、転職しただけで騒ぎになるくらいです。
なので僕からしたら、
という感覚。
「なんで他の人は受け入れられるんだ…?」
そんな疑問を持ってはありましたが、当時18歳の僕は担任からの「お前はここや!」と言われ、聞いたことないトヨタの下請けっぽいところにぶち込まれます。
今思えば、担任もアホでした。
ただアホの言うことを信じて就職したため、当時はとにかく貧乏でした。
とにかく両親もアホ(大好き)、自分もアホ、友達もアホ、相談相手の担任もアホ、全部アホで領域展開されていました。
そして今の延長線上では、底辺から一生出られない人生が待ち受けていました。
月収9万円の極貧生活
貧乏すぎて、貧乏っていう感覚もありません(本当の貧乏はこんな感じ)。
1日8000回。右にあるネジを左にぶち込む仕事していました。この作業が一体何だったのか?10年経った今も謎のままです。
月収9万円。家賃3000円、男と6畳一間の社宅生活。
「逆にこんな仕事どこにあるんですか?」とよく聞かれていました。
当時は家賃3000円の社宅に住み、6畳一間に男二人暮らし(風呂トイレ別)。
夏場はゴキブリが出て、みんなで駆除していました。他にも雨漏りもするし、欠陥だらけです。風呂トイレもなんかくせーし。てんこもりです。
机を持っていなかったので、ゴミみたいなスペックのPCを畳直置きで作業していました。まじで腰痛いのでお勧めしません。
ほこりアレルギーなので肌もボロボロでした。布団に血が着くくらい体を掻きました。
この生活40年続くことに絶望します。
ちなみに、会社の同僚は、28歳になった今も右にあるネジを左に流す作業を1日8000回やっています。
最近、結婚して2人の子供に恵まれたみたいです。そして「会社の給料が上がった!」と言っていました。聞いてみると、約10年勤務して月収9万円から月収11万円に跳ね上がったそうです。
僕は言葉を失いました。自分もインターネットに出会わなければ彼と同じような人生でしたからね。
僕は正直な気持ちを全て母親に伝えました。
「母さん、俺もう限界なんだよ。同僚が仕事できない俺の陰口を言っているし、最近はストレスで全然寝れないんだ。食事も喉を通らなくて、食べてもすぐ下痢になるし、工場のオイルで肌もボロボロだよ。おまけに先月の給料は手取り”9万円”しかない。このままじゃ人生が終わりそうで本当に辛いんだ」
母親に吐き捨てるように言いました。
「興味無い仕事とクソみたいな人間関係で人生が後40年潰れるなんて、考えただけでも死にたくなる」
母親は黙って下を見て、
「まあ世の中そんなもんよ、ハハハ…」
乾いた声で回答。
もう、頼られる相手は誰もいない。
そう確信した瞬間でした。
そう自分で考えるようになりました。
その日から毎晩、インターネットでお金稼ぎについて調べるようになりました。
これまでずっとyoutube、ニコニコ動画、アニメ、2chまとめ、Twitterだったインターネットの世界。
そんな世界の中に突然、光が差してきました。
「20代で資産100億円、子供9人(娘7)、5カ国以上のマルチリンガル」
!?
って感じでした。
当時の名前は「Mr.X」。今は「仙人さん」と名乗っています。
全ての情報が「怪しい」とか通り越して「嘘にしては盛りすぎだろ」でした。
自分では判断できなかったので、周りの友達に相談しました。
・・・思い出した。僕も、コイツもアホやった。
そして僕も、アホに囲まれている状況が分からないくらいアホ。
周りがアホすぎて、他に頼るところがなかった僕。
まだ半信半疑。でもワクワクしながら調べてみると、100億円までいかなくても、そんな奴らがいっぱいいることがわかりました。
そして「ネットビジネス」という世界を知ります。
そこにはヤフオク転売。紹介料がもらえるアフィリエイト。そして情報販売。
主婦が月200万円稼いだり、大学生で1億を稼いだり、40代の冴えないおっさんが月2000万円を労働時間0で稼いだり…
怪しいながらも、壮大な新しい世界がそこに繰り広げられていました。
と羨ましくて、いろんなメルマガを登録してみることに。
そしてメルマガから送られてきたレポート、youtubeをガンガン読んでみる生活が続きます。
すると自然と、不信感よりも、興味の方が強くなってきました。
メルマガで送られてくる内容も、毎日ものすごい情報量でしたが、自分でメモにまとめて整頓していました。
死んだ目をしたライン作業をしている自分。
その脳裏にはずっとネットビジネスがありました。
そんな感じで日々その世界に没頭していったのです。
そして長文の感動を送ったり、メルマガ発行者にメールを送ったりしました。
ただずっと無視。
まあそんなもんか、と落ち込んでいたのですが、ある日、個別でメールが飛んできました。
「山口さん、◯月◯日、新宿三丁目でセミナーをします。きませんか?」
とあるセミナー講師の「K」という人から個別のメールが来て、僕は大興奮。ちなみに講師Kも仙人さんの弟子でした。
冷静っぽさを出して、
という敬語で返信することに成功。
ただどうすればいいのか全く意味不明でした。
18歳童貞の東京デビュー
そもそも新幹線のチケットのとり方分からん。
服装も、これまで野球のユニフォームと作業着した着たことがない。
この頃、リアルに童貞でした。
とにかく怖かったので、怒られないように、メルマガを何回も読んで、復習したりしました。
そしてセミナー会場にビビりながら入場します。
「あの山口さんですか?こんにちは」
セミナー講師がすごく笑って話しかけてくれました。
イメージしたような強さもなく、柔らかいニュアンス。
なめらかーな感じでセミナーが開始されました。
ただ話を聞いてみると・・・
家にある不用品を売るところからスタートして、年収3000万円を達成したこと。
大学生。主婦。サラリーマン。
どんな人間、どんな状況からでもインターネットビジネスで逆転できる。
そんな話を聞いてきました。
そんな希望を持って僕はこの世界に本気で取り組むことにしました。
そして2016年5月から僕のビジネス人生がスタートします。
そこから0からどうやって逆転したのか?
まず最初に「アフィリエイト」からスタートしました。アフィリエイトとは、人の商品を紹介して自分に紹介料を得るビジネスモデルです。
人脈なし、学歴なし、スキルなし、資格なし、実績なし。どんな状態でアフィリエイトをスタートしたのが2016年5月でした。
2016年5月 0円(初月)
これからやるぞ!という段階。いろいろ構想を練っていたら1ヶ月たってしまいました。初心者あるあるです。はよ行動しろやって話。
2016年6月 9万775円
メンターの音声を参考に、アフィリエイト記事を作り始めました。やったことはメンターの音声をアウトプットするだけ。それだけなのに、初報酬がすぐで自分でもびっくりしました。とにかくメンターの音声を耳から変な汁がでるまで聞いてました。
2016年7月 26万1997円
一度作った記事が積み上がっていくので、雪だるまのように膨らんでいきます。この資金で新しい情報を買いまくって、「もっと効率よく稼ぐには?」を研究しました。
2016年8月 54万9121円
ここで得た収入は全て新しく買った情報商材、セミナーなどに再投資しました。全てを総動員して、アフィリエイト記事を作成したら報酬が2倍に!
2016年9月 49万2161円
調子に乗って、稼いだ収入で遊んでいたら、売り上げが少し下がりました(笑)。調子に乗らず、さらにこのお金を知識へ再投資、再投資、再投資。
2016年10月 116万4886円(開始6ヶ月目)
スタートして約6ヶ月、月100万円に到達!
そして気がついたら20代のうちに累計3億円を稼ぎました。
結局全ては「自分の代わりに365日働き続けるコンテンツを作る」という基礎だけを守っただけ。
それ以外のプログラミング、動画作成、HTML、CSS、サイト作成など難しいことは一切今もわかりませんし、興味もないです。
山口が上手く行った理由を1つだけ挙げるとしたら、、、
僕は稼いだお金を「今やりたいこと」にすべて再投資しました。
・左ハンドルのベンツCLS購入(いらん)
・温泉、BBQ会場付きのタワマン(使わん)
・全身ハイブランドで揃える(ゴミ)
・マレーシアへ住む(これは最高)
・全6大陸の女性とデートする(南アフリカだけマジきつかった)
詳細はこちらの記事でまとめています。
僕の人生は全て「今しかできないことを先延ばしにしない」これを徹底しました。
今、僕が28歳になってわかりますが「30年後には同じように楽しめないこと」がたくさんあるなと思います。
・18歳の少年が持っている1000万円の貯金
・90歳のおじいちゃんが持っている1000万円の貯金
↑のどっちがお金を楽しく使えることが多いと思いますか?
同じ1000万円でも価値も違いますよね。
ビジネスも、親への恩返しも、家族との時間も、溺れるような恋愛も、食生活も、性生活も、「今」しかできないものばかりです。
「今」に全力で集中した。お金を使った学習も、ビジネスの仕組みも、旅行も、異性関係も、ドラッグも、全てやりきること。
気がついたら、最初に会ったセミナー講師のKさんより自分のほうが稼いでいました。
しかし本題はここから。470万円詐欺されます
そして、24歳の時。
「20代で資産100億円、子供9人(娘7)、5カ国以上のマルチリンガル」
全てのきっかけとなった、この人間(仙人さん)と会うチャンスが訪れます。
それくらいモチベーションが止まりませんでした。
最初は、中古で買ったアンドロイドのスマホに彼の音声を入れ、会社の通勤時、帰宅後など暇さえあれば彼の音声を聞いていました。
19歳で中古のiPhoneと付属イヤホンを使って、彼の参加費60万円の音声教材を、耳から変な汁が出てくるまで聞きました。
20歳の時には少しお金に余裕が出てきたので最新iPhoneと、付属イヤホンで聞いていました。
23歳はAirPodsProで彼の参加費100万円の教材を聞きました。
最終的に24歳で彼本人に会いにいくという夢を叶えていく。
セミナー会場はマレーシア、クアラルンプール、ブキビンタンという街。
セミナー参加費は470万円(クソたけえ)。
そんなオファーが届きました。
ただ僕の物語はここで終わりません。
最終的にこの470万円を詐欺られ、彼に投資した1200万円は水の泡になりました。
ネットビジネスで1億円稼いだあとの物語が気になる方はこちらからどうぞ。
↓ ↓ ↓
【第2章】24歳男が仙人さんの参加費470万円マレーシアセミナー参加して詐欺されるまで。
追伸:
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ネットビジネス歴6年の集大成となる山口祐樹の理論・セミナー集